「道具を大事にするということ」

No.21

「道具を大事にするということ」

あなたは自分の道具を大事にしているだろうか?
ここで言う道具とは、文房具のような小さなものから、車やバイクなどの大きなものまで我々が接するもの全てのことだ。

 

道具に対してどのように考え、どのように接していくのか。

ここにも人としての成長要素が多く含まれる。

 

野球のイチロー選手はバットやグローブなどの道具を非常に大事に扱うことで有名だ。

「作っていくれた人への感謝」

「一度バットを投げた時にものすごく後悔した」

子供たちに野球を指導する際も、道具を大事にしないと上手になれないとアドバイスをするという。

スポーツ界にはうまく行かないときなど道具に当たる(バットを折るメジャーリーガーやラケットを投げるテニスプレイヤー見たことがあるだろう)選手も多い中、イチローは決してそんなことはしない。

ヒットを打って走る時も、バットに与えるダメージを最小限にする着意を感じる。

メジャーリーグでは道具を手入れもしてくれる中、イチローは自分の道具を人に触らせず自分で手入れをするという。

 

道具に名前を付ける人も多い。

車やバイクに名前を付けている人もいるだろう。

日本刀のような名前を付ける人も居れば、人やペットのような名前を付ける人も居る。

擬人化によって愛着が増し、一般に販売されている物でも「自分だけのモノ」になってくる。

 

道具に話しかけると言う人も多いのではないかと思う。

日本では、昔から道具を長く使っているとそこに魂や神が宿ると考えられていた。

そのため、そうなる前に道具を処分するという風習があったほどである。

 

 

そもそも、道具とは何らかの機能を形にした物である。

道具を大事にしなければ、故障や機能の低下に繋がってしまう。

大事に扱い、手入れを欠かさなければ良好な状態で長く使えるはずだ。

 

同じ道具を使っていても、良い状態の物とそうでない物のどちらがいい仕事を出来るだろうか?

もちろん良い状態の物を使った時である。

道具を良い状態で使い、より良いパフォーマンスを発揮する。

その時の動き、身体の使い方、それを司る脳の働き。

それは僅かだが確実な差でもある。

 

その積み重ねが長い時間の中で大きな差となって自分に返ってくるのだ。

 

道具を長く使うためには、良い物を使うということも重要だ。

大量消費社会の悪影響で、道具を手入れして長く使うよりも、新しく買ったほうが安い世の中になってしまった。

デジタルガジェットなどは、そもそも進化が著しく、長く使うことが困難ですらある。

そんな現代でも、良い物作りをする職人・メーカーは存在する。

高級である必要はないが、機能と耐久性の有る良い物を使って欲しい。

お気に入りの道具を使うだけでテンションも上がり、より良い結果に繋がるはずだ

 

 

物事を行うにあたって、道具を使うということが必ずある。

自分が使う道具を自分で選び、大切に扱っていくことによって、人の成長度合いにもまた影響を及ぼす。

 

是非、良い道具を長く使っていい仕事を成し遂げてもらいたい。

 

 

 

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「才能とは何か?」

No.20

「才能とは何か?」

 

才能と聞いて思い浮かべることはどんなことであろうか?

 

「彼には才能がある」

 

「私には才能がない」

 

「才能とは神に与えられたもの」

 

そんなふうに思っているのではないか。

 

英語で才能のことをgiftという。

まさに神から授かったものという意味合いだ。

 

確かに学校の成績が抜群に良かったり、音楽的才能があったりする人を見ると点から与えられたものと思うことは多い。

 

イギリスで音楽的才能を発見するという調査がされたことがあった。

 

結論から言うと

「生まれつきの才能というものを発見することはできなかった」

という。

 

早熟で成果を出し始めている人を見ると

「才能」

というものを感じてしまうが、実際はそうではないというのだ。

 

確かに早い段階で人より抜きん出た結果を出す人たちは存在する。

 

先程のイギリスの調査でも、音楽的に優れた才能を発揮する子どもたちを大勢調査したが、生まれつきの才能というわけではなかった。

 

共通して言えることは、

「小さい頃から音楽に接しており、練習時間が半端なく多い」

ということであったという。

 

そして、累計練習時間がその成果に正比例しているという。

 

「1万時間の法則」

という法則が話題になったことがあった。

 

一流になる人は平均的に1万時間程度の練習時間があったということである。

 

1日3時間の練習を毎日続けたとすると9年間で1万時間

 

1日9時間の練習を毎日続けたならば3年間で1万時間

 

小学生や中学生あたりで早くも素晴らしいパフォーマンスを発揮する子どもたちが存在するが、実際は小さい頃からの練習量の成果だと言われている。

 

典型的なのが

親が音楽やスポーツを小さい頃からやらせていたり、

やる前から見ていたりということがある。

 

 

3歳で練習を始めたとして、1日3時間練習をすれば12歳で1万時間に達する。

少しやったぐらいの子がかなう訳はない。

 

とはいっても、これを読んでいるであろう人たちは1万時間なんて気が遠くなる数字だとしか思えないのではないかと思う。

 

気分転換に少し私の体験談を書いてみようと思う。

 

いままで意識していたわけではなかったが

「100時間の法則」

というものがあるとなんとなく分かっていた。

 

私は何でも興味を惹かれ、まあまあ行動力もある方なのですぐにそれを始めることが多い。

そして、とりつかれたようにそれに関する情報を集め、練習に没頭する。

2~3ヶ月もすると普通の人とは比べ物にならないレベルに到達することができる。

ここまでに費やした時間が100時間程度なのだ。

もちろん普通の人のレベルから歩いていどのレベルになっただけで、玄人のレベルには程遠い。

スポーツのような身体を使うものならもっと時間がかかるだろう。

 

私はこの方法でいろいろなスキルを獲得してきた。

だが、その後が問題だった。

 

そこでパタッと止めてしまうものが多かったのだ。

 

昔は

「自分はなんて飽きっぽいんだろう」

「なんで継続力がないんだろう」

と悩んだりもした。

 

だが、

いくつかのものは意識するでもなく長く続いていた。

長く続いたものはやはり、それなりの成果を出すことができた。

 

今はわかる。

「100時間までの練習は楽しい」のだ。

初心者だから、練習すればいろいろなことができるようになる。

自分にどんどん新たなスキルが身についていく。

ゲームをプレイしているような楽しさがある。

だが、100時間を超えると様相は変わってくる。

簡単に身につくようなスキルはもう無くなってしまっている。

練習もコツコツ練習が主体になってくる。

ゲームなら単調なレベル上げのようなものだ。

 

そこから先に進めたもの。

私にとってそれは格闘技であった。

 

体格も体力も特に人より秀でたものはなかったが、長く続いた分だけ上達したように思う。

気がつけば先輩は少なくなり、同期はやめていき、試合でもそれなりに成果を出せるようになっていった。

 コツコツ練習が全く苦でなかった。

毎日毎日同じ練習メニューを繰り返す日々だったが、自ら課した課題を考えながらの練習は飽きることがなく、数年単位で取り組むような課題にも挑戦していた。

なりたい自分をイメージすればやることは山ほどあり、飽きる暇はなかった。

10000時間に到達してはいないだろうが、時間を掛けたぶんの成果はあった。

周りの選手も同じだと思う。

正直あまりセンスないなと思うような後輩も10年近くもやっているとかなりの強さになっていた。

 

何かを始めた最初のうちは面白い。

当然だ。どんどん自分が成長するのが分かる。

そこからコツコツ期間に移行した時に続けられるかがカギだ。

そのためには最初の急成長とは違う、薄紙を張り合わせていくような地味な練習とそれが積み上がっていく喜びを感じることが必要だ。

ぜひ、その喜びを見つけて一流になってもらいたい。

 

 

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「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」  

No.19

「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」

 

フランスの哲学者モンテーニュやドイツの宰相ビスマルクが似た言葉を残しており、いずれ紹介したいと思うが、今回のこの言葉は出典不明である。

 

「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」

賢い者は愚か者からも学ぼうとし、愚か者は賢い者からも学ぼうとしないという意味である。

 

賢者とはどのような存在のことを言うのか。

賢者は身の回り全ての物事から学ぶ姿勢を持っている。だからこそ、愚者からも学ぶことができる。

 

賢者は常に成長しようと考える。

 

成長するためには学びが重要だ。

 

学びとは学校の勉強だけではない。

 

人生におけるあらゆることをより高いレベルにすることが学びである。

 

武道で強くなることも、カラダを鍛えることも

話し方が上手くなることも、人間関係を良くすることも

全てのことにおいて成長することを。

 

「成長したい」

賢者は成長に貪欲だ。

自分の成長のためなら、あらゆることを考える。

より速く

より強く

より賢く

より美しく

より素晴らしく

そう考え始めると、思考は止まらないハズだ。

どうすれば成長することが出来るのか?

そう考えれば、ぼんやりと生きることは出来ない。

賢者とは成長に貪欲で満足することのない存在なのだ。

 

 

二つ目に

「自分は出来ていない」

と思う、謙虚さが必要だ。

良く、武道や格闘技を教えている時に全体に対しての指導をする。

もちろん全体的に出来ていないことや意識して欲しいから指導をするのだが、それに対して

「全体的にって言うけど、自分はどうだか分からない」

という者が居る。

つまり

「全体的に出来ていないって言われるけど、オレはそんなに悪くない」

と思っているというわけだ。

これは傲慢であり、謙虚の正反対だ。

そもそも、どんなことであっても完璧という者など居ない。

「自分は出来ていない」と思うことによって、成長する可能性が出てくる。

それが賢者の考えだ。

「自分な出来ている」

と思った瞬間から愚者になってしまう。

「自分は出来ていない」

この思考こそが賢者の思考過程の始まりとも言える重要なものである。

 

 

 

 

愚者とは

「成長しようとしない」

ものだ。

「自分はもう十分にできている」

と思っている場合もあれば、

「もっと楽したほうがいい」

と考えている場合もある。

いずれにしても、成長とは無縁の考え方だ。

成長しようとしなければ成長できるハズがない。

あたりまえのことだが、そういうことなのだ。

 

愚者は

「自分は出来る」

と思っている。

出来ると思っているから、努力しようとしない。

「自分には必要が無い」

そう思っているのだ。

 たとえ賢者であったとしても

「自分は出来る」

そう思った瞬間に愚者へと転落するのだ。

 

 

 

賢者と愚者は人間を二種類に分けるものではなく、姿勢を表現しているものだと私は考える。

賢者とは成長しようとする人そのものであり、愚者は成長することができないヒトだ。

 

成長するためにあらゆる事から吸収し学ぼうとする賢者

自分はデキる人間だから、あるいは成長なんて別にどうでもいいからと、何からも学ぼうとしない愚者

 

うまく行かない

成績が良くない

イコール愚者ではない。そこから成長しようと考えることができれば賢者となる。

 

逆に、

結果を出し

成績が良い

としても、そこにあぐらをかいてしまっては愚者になってしまう。

 

つまり、

賢者とは、成長し続けようとすること(賢者で居ること)で賢者でいられるものなのである。

愚者とは、成長を無意味と考える者、成長しようとすることを止めてしまった者だ。

 

学びを止めれば賢者も愚者になる

学ぼうと思えば愚者も賢者になれる

 

簡単に入れ替わってしまうからこそ、

賢者で在り続けようとすることは大きな意味を持つ

 

 

 

読者の皆さんの賢者としての学びの道を歩まれ成長を続けることを。

 

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「憤り」

No.18

「憤り」

 

あなたは最近憤りを感じたことがあるだろうか?

「有る」という人も「最近無い」という人も居るだろうし、そもそもあまり「憤らない」というタイプの人も居るだろう。

ワタシ個人でいうと、たまに「憤りを感じる」状態になることがある。

今回は、そんな「憤り」に関することを考えてみたいと思う。

 

まず、

「憤る」とはどのような状態なのか?

簡単に言うと腹が立っているが、表に出していない状態だ。

似た言葉で「怒り」というものがある。

こちらは腹が立って、その感情が表に出ている状態のことだ。

同じく似た言葉で「不満」というのもある。

文字通り何かが足りないという状態だ。

 

ここから述べることはあくまで私見であり、辞書に載っていることとは異なるだろうということをあらかじめ断っておく。

 

先程挙げた

「憤り」

「怒り」

「不満」

に三つの言葉について一つずつ解釈をしようと思う。

順序が逆になるが、説明の都合上なのでご理解頂きたい。

 

「不満」

まず

「不満」について。

なにかが足りないと書いたが、その何かとは個人の欲望であることがほとんどである。

「もっと食べたい」

「もっと楽な仕事がしたい」

「もっと認めてもらいたい」

といった自分の状態や境遇に対しての感情だ。

あまり建設的ではないため、ただ「不満」な感情をいだいているだけでは、良いことは起こらない。

会話では上から下に対してしか出てこないはずだ。言っても同期、同級生までだろうか。

「何か不満があるのか?」と上司や先生に問われるような場面が思い浮かぶ。

感情的にはあまり強いパワーは持たないが、ふてくされるなど表には出てしまっているようなイメージがあるかもしれない。弱いネガティブな状態だ。

不満から建設的な感情に移行できれば良いが、長時間不満を顕にしていると評価を下げる要因にしかならないので注意すべき感情である。

 

「怒り」

次に「怒り」について

「不満」を弱いネガティブな感情と表現したが、「怒り」は強いネガティブな感情であると言えるだろう。

腹が立っていて表にその感情が現れている状態だ。

「怒りに身体が震えている」

「怒りで顔が真っ赤になる」

など、他人から見ても分かるほどだ。

「怒りっぽい人」などは人から敬遠されやすく、人間関係をうまくやっていくことは難しいだろう。

「怒り」が全面に出た状態は本能が理性を超えた状態であり、説明なども耳に入らない。

このままエスカレートして暴力になることもあるだろう。

 

「アンガーマネジメント」など、怒りの感情をコントロールする手法が話題になるくらい問題な状態なのだが、実は「怒り」は「怒り」から来るわけではない。

「心配で何度もメッセージを送ったのに返事が来なかった」ことから、実際にあった時にそれが「怒り」になった。(心配→怒り)

些細なことの積み重ねで蓄積した怒りが小さな出来事で爆発してしまう。(積み重ね)

 

「怒り」は見るものに不快感や恐怖を与える。

「怒り」が強いモチベーションとなって行動を起こすパターンも有るが、ネガティブなパワーは建設的ではない。

昔のテニスでマッケンローという怒りを全面に出すプレイヤーが居た。

 4大大会でも優勝するほどのトッププレイヤーであったから、「怒り」は悪い感情ではないとする評もあるが、完全に感情をコントロール出来ていたならグランドスラムをも達成していただろう。

「怒り」をコントロールできるようになって安定した成績を収めるようになるスポーツ選手も多い。

スポーツに限らず、様々なことにおいて同じことが言えるだろう。

 

「憤り」

そして、最後に「憤り」について。

感情的には怒りに近いが、それを理性がコントロールできている状態である

腹ただしく、許せない。

だが、その感情を「怒り」という形で表すこと無く自分の中にとどめている。

三つの中で最も建設的な状態である。

強いネガティブのエネルギーであるところは「怒り」と同様であるが、少しポジティブ寄りにコントロールしている状態だ。

「 上司や組織の理不尽さに対して憤りを感じる」

「弱者を切り捨てる政府のやり方に憤りを感じる」

このような理不尽な強い上からの力に対する、正義感のような感情ではないだろうか。

憤りを感じるためには、正義感があり、在るべき姿を常に描いていることが必要だ。

理想像が在るからこそ、それに対する理不尽さに憤慨する。

 

まとめ

以上、三つの感情について述べたが、誰しもが抱く感情であるものの、憤りは高等な感情であり、現状を打破する原動力である。

そのためには、常に在るべき姿を追求し、理想を追い求める覚悟が必要だ。

「憤り」そうなった時に自然に感じるものだ。

是非、理想を追い求め、「憤り」を感じてもらいたい。

そして、「憤り」をパワーの源にして、在るべき姿を追求してもらいたい。

「ミッションコマンド」~個人編~

No.17

「ミッションコマンド」~個人編~

 

以前紹介した「ミッションコマンド」を個人で使う場合の手法を紹介しようと思う。

 

hitokarahito.hatenablog.com

 

項目をまとめると

「ビジョン」を設定し

ビジョン実現のための「ミッション」を定め

ミッション達成のための「タスク」に分解する。

ということになる。

 

 

 

例として、Aさんという人が「空手で黒帯を取る」という目標を立て、それを実現するためにミッションコマンドの手法を考察してみよう。

 

「ビジョン」

 ビジョンとは将来のあるべき姿で、ここではなりたい自分のことだ。

ビジョンは明確で、かつ期限が設定されていることが必要である。

 

「○○年秋の昇段審査に合格して黒帯を取る」

のように、期限を明確に設定する。

期限のないビジョンはただの夢だ。

期限がなければ夢から目標に降りてくることはない。

(注:夢を見るなという訳ではない。例えば南極でペンギンを見たいという夢があっても、それを実現するためのステップを踏む→つまり目標にするということがなければ、その夢はただの夢で終わるということだ。「35歳の時に南極大陸に降り立ち、ペンギンを見る」と期限を定めれば、そのために何が必要かを分析することになる。→お金持ちになって個人で行く。→海上自衛隊に入隊して”しらせ”の乗組員になる。→研究者になって南極に行く。等々)

 

「ミッション」

ビジョンを実現するためのミッション(任務)を設定する。

 

このためには、ビジョンを実現するために何が必要なことなのかを分析する必要がある。

 

黒帯を取るためには

○技 術

○体 力

○精神力

が必要だとAさんは考えた。

 

したがって

①「技術を身に付ける」

②「体力を付ける」

③「精神力を鍛える」

以上の三つがミッションということになる。

 

 

「タスク」

ミッションを達成するために分解したものがタスクである。

 

ミッション②の「体力を付ける」を達成するために、必要な体力を分析する。

 

黒帯を取得するために必要な体力とは

1「筋力」強力で速い突きや蹴りを出すため。

2「筋持久力」長い時間、手構えや腰を落とした姿勢を維持するため。

3「柔軟性」肩周りや股関節周辺を柔らかくして、自由自在な動きをするため。

4「全身持久力」一定の時間内に手数を多く出すことができるため。

5「体重増加」打たれ強さの獲得及び攻撃力の向上のため。

以上の5項目をAさんはタスクとして設定した。

 

タスクは達成できたかどうか具体的に評価出来なければ意味がない。

よって、それぞれのタスクを数値化することが必要である。

Aさんは「筋力の向上」というタスクを具体的に設定した。

(1)ベンチプレス120kg

(2)スクワット150kg

(3)デッドリフト200kg

(4)懸垂20回

 

数値を具体化することによって現在の達成状況の把握が用意になる。

このタスクをさらに細分化し

「00年にベンチプレス100kg」

「01年にベンチプレス110kg」

のように期限を設定する。

 

それぞれのタスクを達成するために日々の練習メニューを決定し、それを実行する。

 

練習をしたらタスクの達成状況を評価して、練習内容を修正し、じ後の練習に反映していく。

いわゆるPDCAサイクルだ。

(PDCAサイクルについてもいずれ書きたいと考えている)

 

「修正」

練習をしているうちに、ミッションが増えたり減ったり、その影響でタスクも増減するだろう。

また、目標を上方修正したり下方修正したりということもあるだろう。

練習はやってみなければ分からないし、結局ミッションもビジョンも推測だから、ズレがあったりするものだ。

それを修正する時に

必ずビジョンに照らし合わせる

ということが大前提だ。

そうしないと、様々な要素から修正された練習が目標を達成できない内容やスケジュールになってしまう可能性がある。

「ベンチプレスを120kg挙げることが出来なくても黒帯になれる。」

そう分析し、ミッションを修正したのなら良いが、

「このペースではベンチプレスで120kg挙げることは無理だから100kgに目標を下方修正しよう」

とした場合、ミッション自体は変わっていないわけであるから、その分を補う必要がある。

そうなると、タスクを追加したり、他のタスクの目標値が変わってきたりすることになるだろう。

 

だから、ミッションそしてタスクの設定はよくよく考えて設定しなければいけない。

ビジョン実現のために何が必要かをしっかりと分析しなければ、修正ばかりになってしまうからだ。

もちろん、必ず修正する必要性は出てくる。だが、極力それを減らす努力が必要だ。

 

分析の際に、すでに達成している人をよく観察することが参考になるだろう。

そして、それがその人の個性の部分なのか、あるいは他に達成している人にも共通していることなのか?

 

そうやって、必要な要素を細かく分析して、自分の個性とも照らし合わせたうえで

「なりたい自分を描く」必要がある。

 

 

まとめ

○ビジョン(なりたい自分)を定める。

○ビジョン実現のためのミッション(任務)を決める。

○ミッションをタスクに細分化する。

○ミッション、タスクを評価・修正して練習を繰り返す。

「守破離」

No.16

「守破離」

 

「守破離(しゅはり)」と言う言葉を聞いたことがあるだろうか?

もともとは茶人である千利休の言葉とされる修行についての考え方である。

 

「守」とは学びの初期段階であり、師匠の教えを徹底的に守って修行する段階である。

型稽古や基本の習得に費やす時期であり、一見単調で飽きやすいが、実際は非常に重要な段階である。

この段階で、土台を確実に築いていくことができなければ、その後の伸びは期待できない。

まさに建築の土台作りのような時期なのである。

 

次の「破」は「守」で築いた型を破る段階である。

基本・基礎を繰り返していくと人は上達していくものであるが、必ずしも当てはまらない場合もある。

いわゆる「型破り」というものだ。

基本・基礎は万人が上達するための基本的な方法であり、効率的に人を上達させることができるものであるが、人はすべて同じではない。

その人の個性によって幅というものが生まれてくる。

それは体格や筋力といった表面的なものから人格や雰囲気といった、人が持つあらゆる要素が影響する。

基本・基礎を積み重ねていくと、その部分に関する感性が養われていく。

「これって教わったこととは違うけど、何かイケそうだな。」

そんな感覚が生まれてくることもあるだろう。

そうやって自分なりの技を磨いていく段階だ。

「型破り」と言う言葉があるように、そもそもの「型」ができていなければただの我流にしかならない。

だからこそ、「守」の段階が重要なのである。

 

最後に「離」である。

これは自分独自の世界を創るものである。

既存のセオリーにとらわれない世界だ。

師匠や流派にとらわれることなく自分流を持つということだ。

 

 

一般的には「守破離」とは単に学びの段階を示すものであり、最終的に「離」の段階に到達しなければならないというような説明が多く、短期的な向上の意味としては間違っていないが、真の意味はもっと深いところにある。

 

凡人は「破」に到達するかしないかというようなレベルであり、「離」はさらに遠い世界だ。

 

武道・武術で言えば、「破」というものは師匠が「流派の流儀を超えて良い」という許可を得るものであり、「離」は自らが修行した流派と同等以上の理合をもった新たな流派を興すということだ。

 

武道・武術の世界は恐ろしく奥が深く、流派の祖となるような人物は常人には理解できない身体意識を持つ天才である。

そのような天才たちが創った流派の「基本・基礎」を確実に積み上げる。

つまり「守」の段階を確実に積み上げていくことが重要なのである。

 

短期的な「守破離」はあっても長期的には「守」を積み上げ続けるという意識が必要なのだ。

 

 

なお、武道・武術あるいは芸術の世界で師匠の許可なく弟子が勝手に「守」から「破」の段階に移行するのはご法度であり、それを守れないものは「破門」されるという非常に厳しいものである。

 

「ミッションコマンド」

No.15

「ミッションコマンド」

 

聞き慣れない人もいるかと思うが、もともとは現代の軍隊におけるマネジメントの手法である。

ミッションコマンドが主流になる以前、軍隊では「コマンド・アンド・コントロール」という命令と管理によって組織を運営していた。

 

コマンド・アンド・コントロールでは

「何をやるのか」

「どのようにやるのか」を細かく命令し、絶対的にその命令に服従するというものだ。

しかし、昔の国家間の戦争のように大きい部隊がぶつかり合うような、綿密な計画を立てて行うような戦いならいざしらず、近年の戦いにおいてはゲリラとの戦いやテロとの戦いと言った不確定要素が大きくなり、その変化に対応するということが難しくなっていた。

 

現代においては正規軍同士の戦いからゲリラやテロリストとの戦いが主流となり、その戦い方は正規軍よりも遥かに自由度が高くなり、予測不可能な状況の変化が当然のようになっていった。

 

そこで考え出されたのが

「ミッションコマンド」である。

コマンド・アンド・コントロールの「何をどのようにやるのか」から

「何をなぜやるのか」というミッション(任務)にもとづいた行動をとり、与えられた権限の中で自ら判断し、行動することができるようになった。これによって、不確定な要素に対応できるようになったのだ。

 

そして、この「ミッションコマンド」の手法は現代の組織運営において軍隊のみならずビジネスの世界でも常識となった。

 

 ミッションコマンドの手法を紹介する。

 

それは、

ビジョンとミッションそしてタスクである。

 

ビジョンは将来のあるべき姿である。

アマゾンのビジョンを紹介する

「すべてのものが買えるお店」

だという。

 

ミッションは任務である。

アマゾンで言えば、ビジョンの「すべてのものが買えるお店」

を実現するために設定する。

公表されていないので推測だが

「すべての物を買いやすいサイトを作る」

「翌日配送可能な配送センターを作る」

などがあっただろう。

そして、それぞれのミッションを達成するために、さらに分解したミッションが設定される。

大事なことは「どのように」という、やり方は決めてはいないということだ。

 

タスクは目標である。

ミッションを任されたリーダーがそのミッションを達成するために目標を設定する。

 

タスクを任された担当者(あるいはリーダー)は、それをどのように実現するかを自ら考えて実行する。

 

つまり、ミッションやタスクの実現のためにリーダーは権限を与えられ、自らの判断によりそれを達成していくということだ。

 

現場の判断ではなく、いちいちトップの決断を仰いでいては刻々と変化する状況に対応できない。だからこそ、現場のリーダーに権限が与えられているのだ。

それは戦場でもビジネスでも何ら変わることはない。

 

そして、ミッションやタスクを実現していく上での根本となるものがビジョンである。判断に迷う時はそれをビジョンに照らし合わせてみれば解決するはずだ。

 

 

ビジョンとミッションそしてタスク

この3つの関係性を理解してそれぞれを設定することで組織は強くなる。

 

トップに立つ者、そして中間のリーダーは部下に

「何をなぜやるのか」を示すことだ。

そして

「やり方」に自主裁量の余地を与える。これによって現場に起こる変化に柔軟に対応することができる。

 

全てはビジョンの実現のために!

この関係性を理解して、リーダーは必要なことを